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この仕事をするようになって、いろいろな報告を受けることが多い。この時、いつも気になることがある。
「遅刻してしまいました」「忘れてしまいました」「エラーが起きてしまいました」という類の、何らかの失敗をおかした時の報告に、違和感を覚えるのだ。
当人は意識していないのだと思うが、これらの言い回しで報告を受けると、こちらからはその失敗の主体がわからないのだ。
「遅刻をしてしまった」という表現の場合は、過去の出来事を伝えるための「してしまった」として受け入れられるのだが、「忘れてしまいました」の場合は、リアルタイムに状況を伝えることが多いので、どうにも言い訳くさく感じてしまう。おいおい、忘れたのは誰でもなく君なんだろ?という具合に。こういうときは、「忘れました」と素直に言ってほしい。
僕は自らの身にかかる悪い出来事を他人のせいにすることを好まない。それが仮に100%他人のせいであったとすれば、抗うこともできず、再び訪れる悪夢になってしまう。僕が潔い訳じゃなくて、あきらめが悪いからこそ、そんなのいやなのだ。自分の幸せを追求したいからこそ、この考え方にたどり着いた。
道を歩いていて、後ろから訳のわからん他人にハンマーで殴られて息絶えるのは、明らかに「殴られてしまった」とか「殺されてしまった」でいい。道を歩くな!って言ってしまえばそれまでだが、すれ違うだけの他人をも無条件に一定以上信用しなければ、この世の中は生きづらくて仕方がないのだから、それはちょっと事情が違う。これは、純粋に他人のせいだ。で着地すべき問題だと思う。
人間である以上、全員が必ずミスを犯す。だからこそ、そこからなにかを学び取って次のチャレンジをする必要がある。
経験上、「~してしまいました。すいません。」と言う人は、同じミスを繰り返す。反省の言葉は、実は誰の得にもならないことが多い。欲しいのは、改善される姿で、それを観ることができた僕はとても幸せな気分になる。そして、当人も一歩前進したことを体感できるのではなかろうか。
僕は、2回目のミスまでは怒らないことに決めている。どうやったらミスになるか知らないか、ミスが起きる要因を考えていなかったという理由で2回同じミスを繰り返すのは、仕方がない。表面上、同じミスでも本人にとって問題の本質が違うならば、リセットして1回目から勘定する。
この思考を習慣づけて貰うために、「なぜ起きた?」とは聞かず、「どうすれば起きなかった?」「どうすれば繰り返さないか?」だけを聞くことにしている。これがポジティブなやり方だと信じている。
人の批評をするのは簡単なことだ。そして、自力を使わずに、簡単に自分の地位を引き上げることが出来る都合の良い手法でもある。
本来の批評とは、それなりのリスクを伴うべきものだと思う。そして、仕事において批評をする以上、代替案を提示することを求めたい。
あなたが適切な批評を行い、他人の行為や現状のマズさが立証されたところで、事態は何も変わらないことを認めなければならない。
「あなたの言うことは、よくわかった。それでは、どうすればいい?」
こんな言葉を受け取ることがあれば、他人はしらけた目であなたの言葉を受け取っている。
大切なことは行動を起こし、失敗をし、理想と現実の距離をしっかりと測ること。時に心ない批評家の罵声を浴びることがあるかも知れないが、行動に伴う汗と涙を流した人がだけが、結果を残すことが出来る。
人間は夢を実現する能力を持つ。だからこそ、抱かなかった夢が実現することは決してない。
一度夢を抱いた後は、その夢と現実の差を把握し、成りたい姿へ近づくためのプロセスを考え、実践していけば良い。行動の結果として判明した認識や力の不足は、また新たなプロセスを作るための道具として活用できる財産だ。
決して当初定めたプロセスに拘り過ぎてはならない。プロセスは無数に存在し、それぞれの置かれている状況によって最適も異なる。ここで、拘るべきは夢の実現だ。失敗や停滞する状況を冷静に見つめ、不足に気付いた場合、早期に方向転換する必要がある。実は、この試行錯誤の繰り返しこそが夢を叶える唯一の方法なのだ。
夢を持ち、その計画を立て、実践する。これは、人が複数集まって成立する会社にとっても同じ事が言えるはずだ。むしろその必要性は個人よりも高いものと考える。
年齢も性別も、これまで歩んできた道も異なる、それぞれの個性と価値観を持った同志が複数集まって会社の体をなすからには、その組織という人格にとっての夢という基準点を設け、これを達成するためのステップを作らなければならない。これが、経営者の基本的な仕事だろう。だから、小さな会社の有り様は、経営者の人格を良くも悪くも反映する。
経営者個人が思う「こういう会社にしたい」という漠然としたイメージを、一貫性をもち、誰にもわかりやすい言葉として定義付け、それをぶつけることがはじめの一歩だ。経営者が勝手に決めた目標は押しつけがましいかも知れない。しかし、現実としてこれがなければ、周りの意見も生まれてこないことが多い。
何故か?はじめから背負っているリスクも、結果生まれたことに対するリターンの大きさも異なるのだ。だから、この責務を他の人間に気軽に預けてはならない。そのだけの覚悟を持ち、共有できる人間がいれば、それは素晴らしいことだが、それは闇雲に求めるものではない。なんの利益もない他人の人生に、自らの人生を賭す事が出来ないのと同じだ。
最高の責任を手にした者として、核となる目標を作り、合意を持ち、その為のプロセスを探し、ルールとして定め、共有する。その為にも、ひとつひとつのプロセスを考え、自分なりのメモとして纏めていきたい。
ある1人の「あだ名」が、場所によって違ったり、周りの人たちが違う呼び方をしたりすることは、往々にしてある。そして、それぞれが違う呼び方をする人たちが集まっても、普段通りの呼び方をするのが通常だ。
そのような場所に居合わせると、自分の知らなかったその人を垣間見た気がするもので、ちょっとした違和感と新鮮さを同時に味わう。
対して、ネット上でのハンドルネーム(HN)ってのは、どうだろうかと考える。これは何故か統一しないと居心地が悪い。何故だろう?あだ名とHNの大きな違いはどこにあるのか?
- 自らから名乗る(命名する)事が殆ど
- 音ではなく文字で伝わる
ぼんやりと考えて、この2つが思い当たった。なるほど、あだ名とは明らかに違う。そこに本人の意志が介在している。だから、自分の中ではなんとなく尊重しなければいけない気がするのかも知れない。